たった一投が歴史を変える
EJ・タケット、涙のPBA世界選手権4連覇
その涙は、38日間前から決まっていた
2026年6月13日の朝、EJ・タケットは目を覚ました瞬間から、あることだけははっきりと分かっていた。
午後3時、自分はきっと泣く。
それは敗北を恐れる涙ではなかった。勝利を確信していたからでもない。38日間、37夜にわたって胸の奥に抱え続けてきた重圧、期待、恐れ、信念。そのすべてが、ついにひとつの結末を迎えることを、彼自身が誰よりも理解していたからだった。
タケットはその1か月前、ミネアポリスで行われたAMF PBA世界選手権ファイナルで第1シードを獲得していた。つまり、6月13日に行われるタイトルマッチで、自分が最後にレーンへ立つことは決まっていた。
その一試合は、単なる優勝決定戦ではなかった。
この試合は、シーズン最後のメジャー王者を決めるだけでなく、タケットの2026年という一年が、PBAの歴史にどう刻まれるのかを左右する一戦だった。
彼はこのシーズン、ほぼすべての主要スタッツでツアーをリードしていた。実力、安定感、総合力。どこを切り取っても、彼が年間最優秀選手にふさわしい存在であることは明らかだった。
しかし、足りないものがひとつだけあった。
タイトルである。
どれだけ内容が優れていても、どれだけ数字が圧倒的でも、優勝がなければプレイヤー・オブ・ザ・イヤーの議論において決定打を欠く。タケットには、最低でも一つの勝利が必要だった。
そして、その一つが世界選手権であれば、意味はさらに大きくなる。
勝てば、PBA史上初となる世界選手権4連覇。さらに、前人未到の4年連続プレイヤー・オブ・ザ・イヤー受賞にも大きく近づく。どちらもPBAの歴史に存在しなかった偉業だ。
一方で、負けたとしても、タケットのキャリアが傷つくわけではない。33歳にしてすでに27勝、メジャー7勝。いずれも歴代トップ10級の実績であり、長期的に見れば彼の名声は揺るがない。世界選手権後にもタイトルイベントは残されており、年間最優秀選手の可能性も完全に消えるわけではなかった。
それでも、この一戦だけは違った。
勝てば、史上最高の4年間を証明する試合になる。負ければ、一生に一度の歴史的機会を取り逃がした記憶として残る。
タケットは敗北を先回りして正当化する選手ではない。プレッシャーを避けることも、自分の才能に伴う期待から目をそらすこともない。彼はその重圧を真正面から受け止め、むしろ歓迎するようにレーンへ向かった。
この試合は、彼がPBA史上最高のボウラーの一人であることを証明するための舞台だった。
勝てなかった男が、最も大きな勝利をつかむまで
勝利だけが足りなかった2026年シーズン
2026年のEJ・タケットは、奇妙なシーズンを送っていた。
内容は圧倒的だった。数字も申し分なかった。世界選手権以前に行われた13のタイトルイベントのうち、タケットは7度もテレビ決勝に進出していた。
だが、その7度すべてで、彼は優勝を逃していた。
敗戦時のタケットの平均スコアは221。一方、対戦相手の平均スコアは255。単にタケットが不調だったわけではない。むしろ、彼が高いレベルで投げていても、相手がそれを上回る異常なパフォーマンスを見せる試合が続いたのだ。
ボウリングという競技では、勝者と敗者の差がほんの一本のピンで決まることがある。完璧に見える投球でも、10ピンが残る。わずかなラインのずれが、試合の流れを変える。タケットの2026年は、まさにボウリングの残酷さを何度も味わうシーズンだった。
それでも彼は崩れなかった。
親しい友人であり、Motivのツアーレップでもあるブレット・スパングラーは、タケットの切り替えの速さを「誰よりも金魚のようだ」と表現している。
金魚のように、過去をすぐに忘れる。負けを引きずらず、次の一投に向かう。もちろん実際に何も感じていないわけではない。悔しさも、怒りも、失望もある。それでも、彼はそれらを次の試合に持ち込まない。
「自分がいいボウリングをしていると分かっている。だから、それに影響されてはいけない」
タケットはそう語る。
負けを引きずれば、次の勝利のチャンスまで手放すことになる。どれだけ苦しい結果が続いても、自分は勝てる位置に立てている。その事実を信じること。タケットはキャリアを通じて、その姿勢を貫いてきた。
一流選手にとって、敗北を忘れることは逃避ではない。次の勝利へ進むための技術である。
地元で味わった痛烈な敗北
しかし、どんな選手にも、とりわけ深く刺さる敗北がある。
タケットにとって2026年3月のインディアナ・クラシックは、そのひとつだった。
この大会で彼は準決勝に進み、マーシャル・ケントに252対242で敗れた。試合そのものはハイレベルだった。問題は、その後にあった。
決勝でケントはブーグ・クロールと対戦したが、そのタイトルマッチはPBAツアー史上最低スコアの決勝戦となった。タケットにとっては、あまりにも受け入れがたい展開だった。
もし自分が決勝に進んでいたら。
その思いが、彼の胸を離れなかった。
試合後、荷物を車に運んでいたタケットに、あるファンが声をかけた。
「あんなひどい試合に出なくてよかったですね」
悪意のない言葉だったのだろう。だが、タケットにとってそれは慰めにはならなかった。
「いや、違う。僕なら勝っていた」
その一言には、勝負師としての本音がにじんでいた。
タケットが求めていたのは、楽になることではない。傷つかずに済むことでもない。タイトルを争う場に立ち、勝つことだった。たとえ低スコアの難しい展開であっても、彼はそこにいたかった。むしろ、そこにいなければならなかった。
その大会は、彼の故郷であるインディアナ州ハンティントン郡から車で約40分の場所で開催されていた。家族、友人、地元の応援。数えきれない視線の前で勝ちきれなかった悔しさは、通常の敗戦とは比べものにならなかった。
スパングラーは語る。
「フォートウェインでの敗戦ほど、彼がつらそうにしているのを見たことがない。しかも、彼はタイトルマッチで負けたわけですらなかった」
だが、その翌週、タケットはまた戻ってきた。
いつものように準備し、いつものように投げ、いつものように勝利を狙った。
この立ち直りこそが、彼を特別な選手にしている。
サンダーボウルに刻まれた記憶
世界選手権の舞台となったサンダーボウルは、タケットにとって特別な意味を持つ場所だった。
デトロイト近郊にあるこのボウリングセンターは、彼のキャリアの節目をいくつも見届けてきた。
2012年、タケットはこの地でプロデビューを果たした。2014年には初めてトーナメント・オブ・チャンピオンズに出場。さらに、サンダーボウル内にあるスタジアム形式のエリア、ストローブル・アリーナでは、2016年に自身初のテレビ決勝タイトルを獲得した。
2024年には、父となってから初めてのタイトルもこの場所で手にしている。
つまりサンダーボウルは、タケットにとって単なる会場ではない。始まりの場所であり、成長を証明してきた場所であり、人生の節目が重なる場所だった。
だが、輝かしい記憶だけがあるわけではない。
2026年シーズン序盤、タケットは同じサンダーボウルで行われたUSBCマスターズでも第1シードを獲得していた。18ゲームに及ぶブラケットプレーでは平均258超えを記録し、マッチプレー平均の大会記録を1ゲームあたり8ピン以上も更新した。大会75年の歴史に残る圧倒的なパフォーマンスだった。
もしこの大会を制していれば、世界選手権、トーナメント・オブ・チャンピオンズ、全米オープンに続くタイトルとなり、キャリア・グランドスラム達成にもつながっていた。
決勝で必要だったのは、あと2つのストライクだった。
タケットにとって、それは未知の状況ではない。2023年の全米オープン、2023年の世界選手権、2025年の世界選手権。彼は何度も、勝利に必要なダブルを決めてきた。
この日も、最初のストライクは完璧だった。
しかし、2投目がわずかに左へ流れた。
10ピンが残った。
ボールがポケットを突いても、勝利に届かないことがある。わずか一本のピンが、偉業への扉を閉ざすことがある。タケットはその現実を、同じ場所で味わった。
勝ったブーグ・クロールは、映画の主人公のようだった。
敗れたタケットは、悪夢の中にいた。
だからこそ、世界選手権を前にした彼の言葉は重かった。
「マスターズの後、ここに戻ってきて、今度こそ何かを自分の方へ向かせる必要があった」
決勝の相手は勢いに乗るザック・ウィルキンス
世界選手権タイトルマッチの相手は、ザック・ウィルキンスだった。
第7シードから勝ち上がってきたウィルキンスは、すでに6連勝を飾ってタケットの前に立っていた。勢いという点では、明らかにウィルキンスに分があった。
一方のタケットは、第1シードとして待つ立場だった。シード上は有利でも、試合の入り方は難しい。相手はレーンの変化を実戦の中でつかみ、勝利のリズムを持ったまま上がってくる。待ち構えるトップシードには、初投から重いプレッシャーがのしかかる。
だがタケットは、自分の信念を持っていた。
勝てる位置に自分を置き続ければ、いつかピンは味方してくれる。
言葉にすれば簡単だ。どのアスリートも口にしそうな、模範的なコメントにも聞こえる。しかし、本当にそれを信じ続けることは難しい。特に、何度も勝利目前でピンに裏切られてきたシーズンならなおさらだ。
それでもタケットは言った。
「僕にとって、それは難しくない。なぜなら、本当に信じているから」
その信念は、第1フレームから試されることになった。
ウィルキンスはポケットに入れながらも4-9スプリットを残した。タケットにとっては、いきなり流れをつかむチャンスだった。
ところが、直後のタケットもまた、同じレーンでポケット7-10を残してしまう。
しかもそこは、USBCマスターズで10ピンを残して敗れた、あのレーンだった。
過去の悪夢がよみがえるには十分すぎる状況だった。
派手なストライクではなく、泥臭いスペアでつないだ勝利
それでもタケットは、崩れなかった。
次のフレームでストライクを決め、スペアを重ねる。第5、第6フレームでは大きなダブルを決め、ついにリードを奪った。
会場には「EJ!EJ!EJ!」という大歓声が響いた。
このシーズン、何度も相手に流れを奪われてきたタケットに、ようやく追い風が吹いているように見えた。だが、感情の高まりの裏で、彼の内側にあったのは興奮ではなかった。
不安だった。
第5フレームでは、ファウルの可能性を確認するためのレビューが入った。判定はストライクのまま維持されたが、その一瞬がタケットのリズムをわずかに狂わせた。
スパングラーによれば、タケットはボールリターンを避けようとする中で、無意識に普段よりも長い一歩目を踏み出していたという。フォームのごく小さな違和感。だが、トッププロの世界では、その小さな違いが投球全体を変えてしまう。
スパングラーは試合後、こう語った。
「彼はその後の投球を、怖がって投げていた」
実際、ダブルの後のタケットは3投続けてポケットを外した。2度の3-10スプリットを残し、第9フレームではヘッドピンを右に外した。
かつてのタケットなら、この流れでタイトルを失っていたかもしれない。
だが、この日の彼は違った。
近年のタケットは、華やかなストライクだけで勝つ選手ではなくなっていた。苦しい局面で耐え、崩れそうな流れをスペアでつなぎ、最後まで相手にプレッシャーをかけ続ける選手になっていた。
スパングラーはその変化をこう表現する。
「この3年間の違いは、彼にとって、もう大きすぎる瞬間が存在しないことだ」
タケットは2度の3-10スプリットをいずれもカバーした。第9フレームもスペアでしのいだ。第10フレームではストライクを決め、さらにスペアを加えて188で試合を終えた。
188点。
タケットという選手のスケールを考えれば、決して華やかなスコアではない。彼が過去に世界選手権で見せてきたような、圧倒的なストライクの連打とも違う。
だが、この日のコンディションでは、その188点が十分な重みを持っていた。
彼は勝利を確定させたわけではない。だが、ウィルキンスに最後のフレームでマークを求める状況を作り出した。
つまり、勝てる位置に自分を置いた。
そして今度こそ、ピンはタケットの味方をした。
世界選手権4連覇が証明したもの
このシーズン、タケットは何度も勝利に手を伸ばし、そのたびに届かなかった。
相手の爆発的なスコアに阻まれた試合もあった。完璧に近い投球が一本のピンに拒まれた試合もあった。地元の大声援の前で、あと一歩が届かなかった日もあった。
だが、最も大きな試合で、彼はついに勝った。
AMF PBA世界選手権のタイトルマッチで勝利したタケットは、PBA史上初となる世界選手権4連覇を達成した。さらに、前人未到の4年連続プレイヤー・オブ・ザ・イヤー受賞にも大きく近づいた。
これは単なる一勝ではない。
2026年シーズンの評価を変える勝利であり、タケットの4年間がPBA史上最高峰のピークであることを示す勝利であり、彼を「史上最高のボウラー」の議論へさらに深く押し上げる勝利だった。
そして、その舞台がサンダーボウルだったことにも意味がある。
プロとしての第一歩を踏み出した場所。初めてテレビ決勝でタイトルを獲得した場所。父として初めて優勝を味わった場所。マスターズで悪夢を見た場所。そして今、人生最大の一試合を制した場所。
試合後、タケットは息子のトリップを腕に抱き、妻、両親、友人たちと抱き合った。
長く張り詰めていたものが、ようやく切れた。
6月13日、午後3時。
朝から分かっていた通り、EJ・タケットは泣いた。
その涙は、また一つ増えた世界選手権のトロフィーに落ちた。そこには、悔しさがあった。重圧があった。耐え続けた日々があった。そして何より、自分を信じ抜いた者だけがたどり着ける勝利の重みがあった。
たった一試合が、すべてを変えることがある。
EJ・タケットにとってこの世界選手権決勝は、まさにその一試合だった。勝てなかったシーズンは、歴史的なシーズンへと姿を変えた。重圧は栄光に変わり、悪夢の残るレーンは、再び彼の物語を輝かせる場所となった。
そしてPBAの歴史には、こう刻まれることになる。
EJ・タケットは、最も重い一投を投げ切り、誰も到達したことのない場所へ歩みを進めた。
