ダレン・タンがPBA史上初の快挙
片手投げと両手投げで頂点へ
レイクビルの夜に刻まれた、プロボウリングの新たな歴史
プロボウリング界に、歴史的な瞬間が訪れた。
ミネソタ州レイクビルの「Lucky Strike Lakeville」で行われたPBAワールドシリーズ・オブ・ボウリングXVII。その第2タイトルイベントであるPBAカメレオン・チャンピオンシップで、ダレン・タンが優勝を果たした。
この勝利により、タンは自身2度目のPBAツアータイトルを獲得。同時に、PBA史上初めて「片手投げ」と「両手投げ」の両方でツアータイトルを制した選手となった。
32歳のタンは、決勝トーナメントでブーグ・クロル、サントゥ・タハヴァイネン、そしてジェイソン・ベルモンテを撃破。中でも決勝の相手となったベルモンテは、PBAツアー32勝、メジャー15勝を誇る両手投げの象徴的存在である。
そのレジェンドを相手に、両手投げ転向後初のタイトルをつかんだことは、単なる優勝以上の意味を持つ。
試合後、タンは感極まった様子でこう語った。
「言葉に詰まってしまう。家族もここにいる。恋人もここにいる。すべてを意味している」
そして、自身が「史上最高の選手」と評するベルモンテと対戦し、初の両手投げタイトルを獲得したことについて、「これ以上のことはない」と喜びを表した。
頂点からの転落、そして再び山頂へ
片手投げの実力者として築いた確かな実績
ダレン・タンは、もともと片手投げのトップ選手として知られていた。
大学時代にはオールアメリカンに選出され、チームUSAにも名を連ねた。PBAリージョナルツアーでは数多くのタイトルを獲得し、2021年にはPBA Bowlerstore.com Classicで悲願のPBAツアー初優勝を達成している。
当時のタンは、自身の成長を「ゆっくりと山を登るようなもの」と表現していた。長い努力の末にツアータイトルをつかみ、PBAツアーのサマースイングでもポイントリーダーとなった。まさに、プロボウラーとして一つの頂点に立った瞬間だった。
しかし、その後の道のりは決して順調ではなかった。
2022年から2024年にかけて、年間ランキングは28位、40位、56位と下降。チャンピオンシップラウンドへの進出はなく、マッチプレーや予選通過も安定しなかった。
一度は山頂に立ったはずの選手が、再び長い下り坂を歩くことになったのである。
キャリアを懸けた両手投げへの転向
2025年シーズン序盤、タンはさらに厳しい現実に直面する。最初の2大会で50位、91位に終わり、思うような結果を残せなかった。
そこで彼が選んだのは、投球スタイルそのものを変えるという大胆な決断だった。
片手投げから両手投げへ。
プロボウラーにとって、投球フォームの変更は小さな調整ではない。タイミング、リリース、ボールスピード、回転数、レーンの読み方まで、あらゆる要素を再構築する必要がある。
ましてタンは、すでに片手投げでツアータイトルを獲得していた選手である。成功したスタイルを手放し、新たな投球に賭けることは、キャリアそのものを危険にさらす選択でもあった。
それでもタンは、PBA Owens Illinois Classicから両手投げでの挑戦を本格化させる。個人戦では54位に終わったものの、親友クリス・ヴァイと組んだロス/ホルマン・ダブルスでは7位に入った。ヴァイは、タンの転向を強く支持した人物でもある。
その後、タンは少しずつ手応えをつかんでいく。ネバダでの大会では16位。トーナメント・オブ・チャンピオンズでは決勝進出に迫り、7月にはリー・ジェーン・シンとのPBA/PWBA混合ダブルスで3位に入った。
今季は12大会中9大会で賞金を獲得し、3月23日以降の大会ではすべてキャッシュしている。数字は、転向が単なる賭けではなく、確かな前進であったことを示していた。
成功の鍵は「受け入れる力」
タンが今回の復活劇で強調したのは、技術以上にメンタルの変化だった。
彼は「最大の変化は、受け入れること」と語っている。
ストライクを取っても、スプリットを残しても、完璧に投げたはずの一投で8番ピンが残っても、試合に負けても、まずはその結果を受け入れる。そして、次の一投へ進む。
シンプルに聞こえるが、勝負の世界では簡単ではない。
ボウリングは、選手の心理が結果に直結しやすい競技である。良い投球をしてもピンが倒れ切らないことがあり、わずかなミスが大きな失点につながることもある。過去の一投に感情を引きずれば、次の一投の精度はすぐに落ちる。
タンは、その連鎖を断ち切った。
失敗を否定せず、結果に執着しすぎず、次の投球に集中する。その姿勢が、両手投げという新しいスタイルを支える土台になった。
今回のワールドシリーズ・オブ・ボウリングでは、その変化がはっきりと結果に表れた。タンはカメレオン・チャンピオンシップで優勝しただけでなく、PBAスコーピオン・チャンピオンシップの決勝、さらにAMF PBAワールドチャンピオンシップのステップラダー決勝にも進出。1週間で複数の大舞台に立つ活躍を見せた。
これは偶然の一発ではない。復活の兆しが、本物へと変わった瞬間だった。
ベルモンテ撃破が持つ特別な意味
今回の優勝をより劇的なものにしたのが、決勝の相手であるジェイソン・ベルモンテの存在だ。
ベルモンテは、PBAツアー32勝、メジャー15勝、ワールドシリーズ・オブ・ボウリング9勝を誇る名選手である。両手投げを現代ボウリングの主流の一つへ押し上げた革命的存在であり、若い世代の多くが両手投げを選ぶきっかけを作った人物でもある。
一方のタンは、両手投げに転向してまだ15カ月ほど。いわば、新たなスタイルを模索する挑戦者だった。
そのタンが、両手投げの象徴であるベルモンテを決勝で破った。これほど象徴的な構図はない。
決勝はRace-to-Two方式で行われた。第1ゲームはタンが241対217で先勝。第2ゲームはロースコアの展開となったが、176対167で粘り勝ち、2勝0敗でタイトルを決めた。
決して派手なストライク合戦だけで勝ったわけではない。高得点ゲームを制し、我慢比べのゲームも取り切った。そこに、今のタンの強さが凝縮されていた。
タンは、ベルモンテに勝ったことで単にタイトルを獲得したのではない。自分の選択が正しかったことを、自分自身に証明したのである。
変化を恐れなかった選手がつかんだ、価値ある2勝目
ダレン・タンのPBAカメレオン・チャンピオンシップ優勝は、キャリア2勝目という数字だけでは語り尽くせない。
それは、停滞を経験した選手が、自分を作り替えることで再び頂点へ戻ってきた物語である。
片手投げで実績を残していた選手が、両手投げへ転向する。これは、過去の成功に別れを告げるに等しい決断だった。結果が出なければ、周囲から疑問の声が上がる。生活もキャリアも揺らぐ。プロとしての未来を懸けた挑戦だった。
しかしタンは、変化を恐れなかった。
むしろ、変わることを受け入れた。失敗を受け入れ、不安を受け入れ、結果を受け入れながら、前へ進み続けた。その積み重ねが、PBA史上初となる「片手投げと両手投げの両方でのツアータイトル獲得」という快挙につながった。
大会名である「カメレオン」も、今回の物語を象徴している。カメレオンのように環境へ適応し、自らを変化させ、生き残る。タンはまさにその姿を、レーン上で体現した。
かつて片手投げで登った山頂へ、今度は両手投げで戻ってきたダレン・タン。
この勝利は、プロボウリング界における一つの記録であると同時に、変化を選ぶ勇気の価値を示す勝利でもある。
過去の自分に固執するのではなく、新しい自分を信じて進む。タンの2勝目は、その覚悟が報われた瞬間だった。