父から子へ:バーンズ親子が紡ぐボウリングの新たな物語
クリス・バーンズの名は、ボウリング界で知らない人はいないでしょう。華々しいキャリアを誇る彼のトロフィーケースは、輝かしい中期の活躍を物語っています。しかし、その顔に浮かぶ表情は、彼が新たな「栄光の日々」を生きていることを物語っています。それは、息子ライアン・バーンズがPBAツアーで新たな一歩を踏み出した瞬間を目の当たりにしているからです。
父と息子が共にPBAツアーに立つ姿。この感動的なストーリーの背景には、ボウリングへの深い愛と、次世代へ受け継がれる情熱があります。
クリス・バーンズの偉大なキャリア
クリス・バーンズは、1990年代後半から2000年代中盤にかけてPBAツアーを席巻した名選手です。ウィチタ州立大学時代に才能を開花させ、19回の優勝を誇るPBAキャリアに加え、トリプルクラウンを達成したわずか9人のうちの1人としてその名を刻んでいます。また、20年間にわたりチームUSAで活躍し、その功績は世界中に広がっています。
しかし、2015年の背中の手術以降、かつての栄光の日々は過去のものとなり、現在は試合でカットを突破するだけでも満足と語るほどです。そんな彼にとって、2024年のPBAプレイヤーズチャンピオンシップでは、当時の対戦相手EJタケットとの会話が新たな道を示してくれました。
「なぜまだ続けているんだろう」と漏らしたクリスに対して、タケットは笑顔で言いました。「あの子のためでしょう」。彼が指差したのは息子ライアンでした。
2013年のPBA CP3オールスターイベントで、若きライアン・バーンズが片手投げでショットを放つ。
ライアン・バーンズの転機
ライアン・バーンズがボウリングに真剣に取り組むようになったのは、実は高校卒業間近のこと。それまで彼はバスケットボールに情熱を注いでおり、ボウリングは家族との余暇で数回楽しむ程度でした。しかし、身長が足りず、大学バスケットボールへの道が閉ざされたことをきっかけに、新たな挑戦として家族の伝統であるボウリングに目を向けるようになります。
初めは趣味感覚だったものの、その潜在能力はすぐに両親に見抜かれました。父クリスも母リンダ(USBC殿堂入り選手)も、息子の本気度を確認すると、全面的にサポートを開始しました。家族の会話はすぐに「次に何をどう改善するか」というボウリング中心の内容へと変わりました。
ライアン・バーンズは2020年6月にウィチタ州立大学のボウリング部に入部契約を結んだ。
ウィチタ州立大学での挑戦
ライアンは迷わずウィチタ州立大学を選択。父クリスが育った場所で自分も成長することを決めました。ただし、大学のボウリング部は「アラバマ大学のフットボール」に匹敵する強豪チーム。初心者のライアンにとって、道のりは険しいものでした。
初年度、ライアンはジュニアチーム(JV)で練習を重ね、8レーンの練習場を「自分の部屋」のように使い込みました。その努力は結果を生み、2年目のシーズン途中にはついにバリシティ(トップチーム)への昇格を果たします。ここから彼の快進撃が始まり、シーズン終盤には平均スコア215以上を記録し、全米大学ボウリング協会(NCBCA)のオールアメリカンにも選ばれました。
ライアン・バーンズ(写真右端)は、2022年のPBAカレッジ招待大会でウィチタ州立大学のチームと集まって作戦を練っている。
父母から受け継ぐ知識と影響
ライアンの成功の裏には、両親の支えがありました。母リンダからは技術の指導、父クリスからは試合での戦略を学ぶことができ、さらにはチームUSAのトレーニング施設へのアクセスも得られました。ライアン自身も、これが自分にとって有利であることを認めています。
「僕にはアドバンテージがある。それは間違いない。でも、それを活かせるかどうかは自分次第なんだ」とライアンは語ります。
また、彼は周囲の「ネポティズム(親の七光り)」という声にも屈せず、それどころかそれを楽しむ余裕を見せています。「父と母が持っている知識は他の誰にも教えられないもの。それを僕は学べている」と彼は自信を持って言います。
片手投げのクリスと両手投げのライアンのボウリングスタイルには、否定できない共通点がある。
まとめ
クリス・バーンズとライアン・バーンズの親子の物語は、単なる家族の絆を超え、スポーツへの情熱や努力の大切さを教えてくれます。父が築いた道を息子が歩みながら新たなストーリーを紡ぐ姿は、ボウリング界における次世代の可能性を示しています。
親子でPBAツアーを共に歩むという奇跡は、家族の絆と競技の本質的な喜びを改めて思い出させてくれます。そして、ライアンがこれからどのような物語を築いていくのか、その未来はまだ始まったばかりです。