浪間 章氏 ご逝去(JPBA男子1期生/ライセンスNo.14)
プロボウリング黎明期を支えた「創設メンバー」の別れ
2025年12月23日付のJPBA(公益社団法人日本プロボウリング協会)公式インフォメーションにて、男子1期生・ライセンスNo.14の浪間章氏がご逝去(行年83歳)されたことが告知されました。長年にわたりJPBA会員として尽力され、日本プロボウリング協会の創設メンバー(チャーターメンバー)としても名を連ねる、まさに“制度の立ち上がり”から競技を支えてきた方です。ここに謹んで哀悼の意を表し、故人のご冥福をお祈り申し上げます。
浪間 章氏の歩みと功績
1)基本プロフィール(JPBA公式選手データより)
JPBA公式の「選手データ」には、波間章(浪間章)氏の基本情報と通算記録がまとまって掲載されています。主なプロフィールは次の通りです。
ライセンスNo.:14
プロ入り:1967年(男子1期生)
地区:城南
生年月日:1942年11月24日
出身地:東京都
利き腕:右
身長/体重:160cm/58kg(血液型O)
優勝回数:2回
「1967年の男子1期生」という肩書きは、単なるベテランという意味に留まりません。日本のプロボウリングが“職業スポーツとして形になる”その瞬間に立ち会い、現場で積み重ねてきた時間そのものが、歴史の一部になっていることを示しています。
2)通算スタッツが語る「実力者」の輪郭
同じくJPBA公式数値として、通算成績が非常に具体的に残されています。
総ゲーム数:2,377
トータルピン:466,027
通算アベレージ:196.05
総賞金額:533,000円
公認パーフェクト(300):2回
とりわけ目を引くのが、「優勝2回」+「公認パーフェクト2回」です。現在と比べて、当時は用具・レーンコンディション・競技環境が大きく異なり、300達成者も今ほど多くありません。公式に記録された“2回の300”は、黎明期から長く活動した中で積み上げた確かな技術と集中力を端的に物語っています。
3)黎明期(1967〜71年)の年度別成績に見る存在感
選手データには年度別のゲーム数・平均・順位も掲載されており、プロ化直後の歩みが読み取れます。資料にある範囲では、次の数字が示されています。
1967年:9位/181G/Ave 186.64
1968年:22位/239G/Ave 195.55
1969年:15位/265G/Ave 201.15(200超え)
1970年:70位/375G/Ave 198.54
1971年:59位/376G/Ave 205.96(特に高い平均)
ここから見えるのは、プロ制度が始まった直後から、上位〜中上位帯に顔を出し続け、200アベレージ前後の高水準も記録しているという事実です。特に1969年の201.15、1971年の205.96は印象的で、当時のトップ層の競技レベルの中で確かな地力を示していたことがわかります。順位に波はあっても、長いスパンで「数字が残る選手」だった——それが公式記録から受ける率直な印象です。
4)JPBA「創設メンバー」としての重み
JPBA(日本プロボウリング協会)は、1967年1月27日に発足しました。Wikipediaに掲載されている「JPBA設立時の第一期創設メンバー」一覧には浪間章氏の名前が記されており、創設時のチャーターメンバー19名のライセンスナンバーは年齢順で発行され、その中に「14.浪間 章」と明確に記されています。
この事実が示すのは、浪間章氏が単なる長年のプロ選手ではなく、日本のプロボウリング制度そのものの立ち上げを現場で支えた一人であったという点です。競技の普及や協会活動への尽力、そして後進が歩む道筋を形づくる役割まで含め、記録に残る成績だけでは測れない貢献を重ねてこられました。その存在は、日本プロボウリング史の中で、今後も語り継がれていくことでしょう。
5)元ボクサーからの転向という異色の背景
回想記事の注釈では、浪間 章氏が「元フライ級ランカー」といった形で、ボクシング経験者であることが触れられています。近年の訃報系記事でも「元ボクサー」だった点が言及されています。
格闘技からボウリングへ。いまでは少し意外に感じる人もいるかもしれません。しかし、プロボウリング黎明期は、異業種・異競技から人材が集まり、職業スポーツとして形を整えていった時代でもあります。ボクシングで培われた身体感覚、勝負勘、集中力、そしてプロとしての矜持——そうした資質が、ボウリングのレーン上で別の形に結実していったと想像すると、波間章(浪間章)氏のキャリアは「時代の勢い」そのものを映すエピソードに思えてきます。
6)「日本プロボウリング殿堂」掲載
資料によれば、日本プロボウリング殿堂には「波間 章」としてプロフィールが存在し、殿堂一覧(2017年度の殿堂一覧の断片)にも名前が含まれています。
※資料によって氏名表記が「浪間」「波間」と異なって記載されています。
記録と歴史の両方に刻まれた背番号「14」
浪間 章氏は、男子1期生/ライセンスNo.14としてJPBA創設期を支え、公式戦で優勝2回、さらに公認パーフェクト2回を残しました。通算2,377ゲーム、通算アベレージ196.05という数字は、単なる参加の積み重ねではなく、長い時間を “競技者として戦い続けた” 証です。加えて、創設メンバーとしての位置づけや、元ボクサーからの転向という背景は、日本のプロボウリングが形成されていく時代の空気を今に伝えてくれます。
最後に、葬儀日程(火葬式)について、資料に基づき以下の通り記します。
葬儀日程(火葬式):令和7年12月25日(木)11:00~11:30
式場:臨海斎場(東京都大田区東海1-3-1)
TEL:03-5755-2833
生前にご縁のあった方々、それぞれのレーンの記憶の中に、浪間 章氏の投球や言葉、佇まいが残っているはずです。その記憶が静かに受け継がれていくこと自体が、創設期を生きたプロに対する最大の追悼になるのかもしれません。改めて、心よりご冥福をお祈り申し上げます。