
アンドリュー・アンダーソン、復活と再証明の軌跡
7年越しの再スターダムへ
若き才能の“頂点”と試練の7年間
2018年、アンドリュー・アンダーソンはわずか23歳でPBA(プロボウラーズ・アソシエーション)の年間最優秀選手(POY)に選ばれ、名実ともにボウリング界の頂点に立った。しかし、その栄光は彼にとって始まりに過ぎなかった。続く数年間、怪我、家族の喪失、そしてプレッシャーとの闘いに苦しむ中で、彼のキャリアは下降線を辿った。
一時は「一発屋」とまで揶揄されるほど評価を落としたアンダーソン。だが、2024年から2025年にかけて、彼は静かに、そして確実に再び表舞台に戻ってきた。これは、ひとりのボウラーが自らを再び信じ直すまでの長く険しい道のりである。
試練、自己との闘い、そして再起
■ 栄光からプレッシャー地獄へ
2018年、アンドリュー・アンダーソンはPBAツアー2年目にして年間最優秀選手(POY)の座に輝いた。これは、名だたるプロボウラーでもなかなか届かない称号であり、しかもそれを23歳という若さで獲得したのは史上2番目の年少記録という快挙だった。このとき彼は、まさにボウリング界の新たなスターとして、一気に注目を浴びる存在となった。
だが、その成功は本人が思っていた以上に重く、大きな代償を伴うものだった。
POYという肩書きは、周囲の期待値を劇的に引き上げただけでなく、本人にも「常にトップでいなければならない」というプレッシャーの呪縛をもたらした。仲間だった存在はライバルへと変わり、スポンサーやファンの目も厳しくなった。「ただの若手選手」から「打倒すべき存在」へと立場が一変したことで、アンダーソン自身のメンタルにも影響を及ぼし始めた。
2019年と2021年には度重なる怪我に悩まされ、2020年には最も支えとなっていた父親を亡くすという大きな悲しみも経験した。身体だけでなく、心も折れかけた彼は、「とにかく前に進み続ける」ことだけを信じてツアーを回り続けた。
一方で、POY受賞後にシングルスタイトルが取れないという現実が、彼の自己評価に深刻な影を落とした。ダブルスでの優勝はあったものの、「自分ひとりの力で勝った」と言える結果は出ない。そんな状態が数年続くうちに、「期待に応えられていない自分」に対する焦りと自責の念が積み重なっていった。
「POYの称号を受ける準備ができていなかった」とアンダーソンは後に語る。メディア対応、移動の多さ、周囲からの視線…それらに対する耐性がなかったことが、「勝利の喜び」を「義務感」に変えてしまったのだ。
そして、何よりも彼を苦しめたのは、自己比較と他者比較の罠だった。
同世代の選手たちとの比較から始まり、やがて自分をジェイソン・ベルモンテやEJタケットといったレジェンドたちと比べるようになった。
「彼らと自分は違う」ことを理解しているはずなのに、心のどこかで「自分も同じように活躍しなければ」と思い込んでしまった。
周囲からの評価も徐々に変わっていった。
POY受賞当初は「将来を期待された若き才能」として見られていた彼も、数年後には「あのときだけ光った選手」「本物じゃなかったのでは」といった否定的な声にさらされるようになる。
2024年頃には、かつての輝かしい2018年シーズンさえ、「ブレイクスルー」ではなく「まぐれ」と呼ばれるようになっていた。
こうして、アンダーソンは栄光という名の檻に閉じ込められた状態となった。
その檻から抜け出すには、過去の実績にすがるのではなく、「自分はまだやれる」と信じ直す力が必要だった。
■ 復活のきっかけとなった地元デトロイトでの勝利
長年にわたる低迷期を抜け出すために必要だったのは、誰よりも自分自身を信じ直すことだった。その最初の一歩となったのが、2024年4月6日、ミシガン州デトロイトのThunderbowl Lanesで行われたPBAエリートリーグの試合だった。
会場は、アンダーソンの故郷・ホリーから車で1時間ほどの場所。彼にとってここは、ジュニア時代から数えきれないほど投げ込んできた“原点”とも言える場所であり、プロとしてのキャリアを築く中で何度も立ち返ってきた心の拠り所だった。
その日、彼が属するラスベガス・ハイローラーズは、リーグ屈指の強豪であるポートランド・ランバージャックスと対戦する運命的な一戦を迎えていた。しかもその数時間後には、盟友クリス・プレイサーとともに出場するロス/ホルマン・ダブルス選手権の決勝戦が控えていた。まさに“一夜二勝”が求められる極限のスケジュール。精神的にも肉体的にも、タフさが問われる日だった。
しかしこの日、アンダーソンにはこれまでと決定的に違う「支え」があった。家族や親しい友人、スポンサー、そして地元のファンたちが多数詰めかけていたのだ。彼の両兄弟であるマイクとマット、そしてTurboのサポートスタッフなど、彼を少年時代から知る人々が一堂に会して彼の一投一投を見守った。
試合中、アンダーソンは感情をむき出しにしながらも集中力を切らさず、勝負所で連続ストライクを決める圧巻のパフォーマンスを見せた。特に、ポートランド戦のロールオフ(延長戦)で放った決勝の一投は、まさに「地元に生きる伝説」としての風格すら感じさせた。
数時間後のダブルス決勝戦。プレッシャーのかかる10フレーム目、アンダーソンは2連続ストライク(ダブル)で試合を決定づけ、歓喜の瞬間を地元ファンと共有した。
その時、SNSのコメント欄にはかつての仲間やファンからの熱いメッセージが並んだ。
「あの10フレーム目の投球こそ、昔300ボウルで一緒に投げた時のアンドリューそのものだった」
「ミシガン中が君の勝利を喜んでいる」
そんな声を見て、アンダーソンは静かに、しかし力強くこう語った。
「クリスに言ったんだ。今日は何か特別なことが起こるって。これ以上の舞台はなかった。デトロイトで勝つ。それが俺にとっての“帰る場所”だった」
この勝利は、単なるタイトル以上の意味を持っていた。2018年以来遠ざかっていた勝者としての自信、地元からの支えの温かさ、そして“自分にもまだできる”という実感。
それらがすべて融合し、アンダーソンという人間を再び「闘う選手」へと変えていった。
地元デトロイトでの勝利は、アンダーソンにとって再起動ボタンのようなものであり、彼の中に眠っていた「本当の自分」を呼び覚ます一戦となった。
それは同時に、過去の栄光にすがらず、未来へ向かって歩き出すための“覚悟の証明”でもあった。
■ 2025年:一騎打ちの象徴となったタケットとの戦い
プロスポーツの世界には、ただ勝敗を競うだけではない“物語”が存在する。アンドリュー・アンダーソンとEJタケットの関係もその一つだ。
彼らは単なるライバルではない。世代を代表する実力者として、それぞれが抱えるプライド、比較され続けてきた歴史、そして互いに勝つことでのみ自らの価値を証明できるという宿命を背負った存在だ。
その構図がより鮮明に表れたのが、2025年シーズンである。
アンダーソンにとって、タケットは自分が「過小評価されている」と感じてきた象徴的な存在だった。2018年、POYに選ばれた際、投票で2位だったのがタケット。
当時から一部のファンや専門家は、「本来タケットこそがふさわしかった」と公言しており、それはアンダーソンの心に小さくない影を落としていた。
「EJと戦うときは、意識せずにはいられない。彼に勝たないと、何かを証明できた気がしないんだ」
そんな言葉に表れるように、アンダーソンにとってタケットとの一戦は、“勝敗以上の意味”を常に持っていた。
そして迎えた2025年2月、PBAツアー屈指の難関トーナメント全米オープン。
アンダーソンは大会序盤から圧巻の安定感を見せ、予選から首位を独走。“今季最も勢いに乗る男”としてトップシードで決勝進出を決めた。
だが、その対戦相手に待ち構えていたのは――EJタケット。
インディアナ州ロイヤル・ピン・ウッドランド。タケットの地元であり、まさに“敵地”とも言えるこの地で、アンダーソンは静かに闘志を燃やしていた。
彼は試合前のインタビューでこう語った。
「今週ずっと自分が一番だった。それをあと1ゲームで証明するだけだ」
試合序盤、アンダーソンは3フレーム目・4フレーム目で連続ストライクを決め、吠えるように声を上げた。
「どうだ、来たぞ!」
まるでかつての若き日、何者にも臆さなかった“無敵のアンダーソン”が戻ってきたかのようだった。
だがその直後、彼のリズムが崩れる。5フレーム目、ボールがヘッドピンを外れ、スプリット。そこから4投連続でストライクを逃し、点差はみるみる開いていった。
一方のタケットは、冷静沈着にストライクを積み重ね、最後は5連続ストライクで勝負を決める圧巻の展開。
観客席は「This is my house!」というタケットの叫びと、地元ファンの大歓声に包まれた。
アンダーソンは悔しさを噛みしめながらも、「あの瞬間、正直、自分は“怖がっていた”」と素直に認めた。
だがそれは、敗北の中にある成長の兆しでもあった。
「この負けが、今までとは違うのは、自分がそこから何かを学ぼうとしていたこと。昔の自分なら、きっと立ち直れなかった」
そして3月、ネバダクラシック。再びアンダーソンとタケットがタイトルを巡って激突する時が来た。
予選最終ラウンド、タケットに対して68ピン差を追う状況から、アンダーソンは完璧な300点満点のゲームを叩き出す。
さらにその2ゲーム後には289点。わずか数ゲームで彼はタケットを100ピン近く引き離し、トップシードに立った。
「EJに勝つのは簡単じゃない。でも、世界のトップに立ちたいなら、彼を倒す力が必要だ」
この言葉には、かつて「タケットに認められたい」と思っていた若者ではなく、真の意味で自分を信じられるようになった男の姿があった。
さらに数週間後、ツアーファイナルズ決勝でまたもタケットと対戦。
アンダーソンは圧倒的な集中力で2連勝し、タイトルを奪取。試合直後、彼は会場に響き渡るように叫んだ。
「YES!誰が俺は終わったって言ったんだ?」
その言葉は、過去7年間の悔しさ、失敗、迷い、そして再起への確信すべてを詰め込んだ叫びだった。
こうして2025年、アンダーソンとタケットの間には「結果」という形で明確な勝敗がついた。だが、それ以上に重要だったのは、アンダーソンが過去の自分に打ち勝ち、真の意味で“ライバルと肩を並べる存在”になったという事実だった。
■ 自己との対話と本当の強さ
アンドリュー・アンダーソンのキャリアは、ボウリングの技術力や実績以上に、「メンタルとの向き合い方」が物語の核となっている。
2018年にPOYを獲得し、一躍スターダムに駆け上がった彼は、その瞬間から周囲の期待と自己評価のギャップに苦しむようになった。
彼が特異なのは、成功の中で心をすり減らしていったという点にある。
本来、勝利とは自信を与えるものであるはずだが、アンダーソンにとっては「これを維持できるか?」という恐怖と重圧をもたらす存在となってしまった。
「あの頃、勝つことが楽しくなくなっていた。勝っても安心できない。次はどうなる?また勝てるのか?って、そればかり考えてた」
これは、ただの競技者ではなく、“人間アンドリュー”としての揺れ動く感情が色濃く現れている発言だ。
特に2020年以降、怪我の再発や父親の死によって彼のメンタルは限界に達していた。
練習に励み、試合に出場し、ファンの前で笑顔を見せる。だがその内側では、「このまま沈んでいくのではないか」という自己否定感と常に戦っていた。
「周囲から“落ち目”と思われているんじゃないかと考えることが多かった。でも一番厳しいのは、自分がそう思っていたこと」
このように、アンダーソンの最大の敵は、ライバルではなく、“自分自身”だった。
そんな中で彼が辿り着いた一つの答えは、「自分を許す」という考え方だった。
勝てなかった時期の自分を責め続けるのではなく、その経験が今の自分を作っていると受け入れること。それが本当の意味での“強さ”であることに、彼は少しずつ気づいていった。
2025年の復活劇の背景には、この内面的な変化が明確に存在していた。
たとえば、全米オープン決勝でタケットに敗れた後も、彼は以前のように落ち込んで殻に閉じこもることはなかった。
むしろその悔しさを糧に、「自分はまだここで戦える」と証明するために再び立ち上がった。
「昔の俺なら、負けたことに囚われてしまって、次の大会に集中できなかったと思う。でも今は、“どうやって次に勝つか”を考えられている」
そしてもう一つ、アンダーソンを象徴するのが“他人の目を気にする”という性格だ。
彼自身も認めているように、彼は他人の評価やコメントを非常に気にするタイプであり、SNSのコメント欄や記事の見出しに一喜一憂することもあった。
それは時にモチベーションとなり、時には自信を砕く材料にもなった。
「10〜15年後、その人たちのコメントはトロフィーには残らない。でも、俺の名前は残る」
この言葉には、ようやく彼が「他者の声より、自分の内なる声を信じる」覚悟を手に入れたことがにじんでいる。
また、アンダーソンは自分の「感情的な一面」も武器に変えることを学び始めた。
喜びを大きく表現し、悔しさを前向きなエネルギーに変え、勝利の瞬間には全身でその喜びを表現する。それが“人間くさい強さ”であり、彼にしかない魅力でもある。
「タケットのように勝った時に全力で喜ぶ姿を見て、俺もそうありたいと思った。勝ちをもっと喜びたい。それが俺のボウリングなんだ」
アンドリュー・アンダーソンという選手の真の強さは、“常に完璧であること”ではない。
“不完全である自分を受け入れながら、前に進む意志”こそが、彼の最大の強さなのである。
2025年の彼の快進撃は、その内面的な成長と、自己との対話の積み重ねの結果として表れたものだった。
ボウリングのフォームや投球技術だけでなく、自分自身の心と向き合い、感情を制御し、そして解放することを学んだ彼は、ようやく「本当の意味でのトッププレイヤー」になったのかもしれない。
再び“頂点”へ、そしてその先へ
2025年、アンドリュー・アンダーソンはツアーポイント2位、平均スコア3位という好成績でシーズンを終えた。
過去の栄光に縋ることなく、敗北を糧にした復活劇は、まさにプロスポーツの醍醐味を体現している。
30歳となった今、彼のキャリアにはすでにPOYとメジャータイトルが刻まれている。
次なる目標は、殿堂入り。そしてそれは、単なる夢ではなく、現実味を帯びた“次なる挑戦”となっている。
「10年後、15年後、トロフィーに刻まれるのはコメントじゃない。俺の名前だ」
ボウリング界におけるアンダーソンの物語は、まだ終わらない。
むしろ、ようやく本当の意味で“始まった”のかもしれない。
アンドリュー・アンダーソンのキャリアは、一度スポットライトを浴びた選手がどれほどの重圧と葛藤を抱えるか、そしてそれをどう乗り越えるかを教えてくれる貴重な物語だ。
彼のように「感情をむき出しにするタイプ」の選手が成功を収めるには、技術以上に“心のコントロール”が鍵となる。今後の活躍にも注目したい。