“自分らしさ”を武器に変えたボウラーの物語
涙の先に見えたレーンの光
静まり返るボウリング場の中、たったひとり、レーンに立つ彼女の姿がある。ボールを手にし、深く息を吸って放たれたその一投は、完璧な放物線を描いてピンを倒す――すべてのピンが、音を立てて飛び散る瞬間、会場は歓声に包まれた。
そんな華々しいシーンからは想像もつかないほど、Dasha Kovalovaの道のりは波乱に満ちたものだった。
ウクライナの片隅で偶然出会ったボウリング。
レーンにボールを届かせることさえできず、椅子の下で泣いていた小さな少女は、やがて自分の力で世界最高峰の舞台に立つことになる。
プロになってからも、決して順調ではなかった。
「私はここにいていいのだろうか?」
「私なんかにプロは務まらないかもしれない…」
数え切れないほどの不安と葛藤が、彼女の胸を支配していた。
それでも彼女は、自分を偽らなかった。
怖くても、泣きたくても、自分のまま、レーンに立ち続けた。
そしてその姿は、多くの人の心を打ち、勇気を与えてきた。
この物語は、ただのスポーツ選手の成功談ではない。
それは、「自分らしくあること」と「恐れながらも前に進む強さ」を描いた、ひとりの女性の人生の記録である。
ここに、Dasha Kovalovaという名の、等身大のヒロインの軌跡を記す――。
■ ボウリングとの出会い 〜泣き虫少女の小さな一歩〜
Dasha Kovalovaのボウリング人生は、決して輝かしいスタートではありませんでした。むしろ、その第一歩は“偶然”であり、“涙”に包まれたものでした。
幼い頃、彼女の両親は土曜の夜にボウリングを楽しむのが習慣でした。しかし、当時のDashaはボウリングのルールも技術もわからず、レーンにボールがうまく届かないたびに悔しくて泣いてしまいました。時にはレーンにすらボールを転がせず、そのたびに彼女は椅子の下に潜り込んで泣きじゃくり、恥ずかしさと苛立ちで両親の夜を台無しにしてしまっていたのです。
そんな中、偶然通りかかった一人の女性が、Dashaとその家族に声をかけました。「あなたの娘さんにボウリングを教えましょうか?」と。その提案は、まさに彼女の人生を変えるきっかけとなりました。技術も自信もなかったDashaに、ボウリングの楽しさと奥深さを教えてくれたその一言が、小さな少女の心に火を灯したのです。
やがて彼女の母親がコーチ役となり、Dasha自身も「自分にはボウリングの才能があるかもしれない」と感じ始めるようになります。レーンに向かうことが楽しみに変わり、試合の舞台に立つことへの憧れが芽生えていきました。そして、その“偶然の出会い”が、やがて“運命の道”へと続いていくのです。
■ アメリカへの挑戦 〜親元を離れて、自分を信じる旅へ〜
Dashaの才能は、やがて国境を越えることになります。ウクライナで練習していた彼女は、Rick Benoという名コーチと出会いました。Rickは彼女のフォームや投球の精度を見て、「君はもっと上を目指せる。アメリカに来て、私が手助けしよう」と声をかけてくれたのです。
Rickの提案で、Dashaはアメリカのカンザス州にある名門ボウリング校、ウィチタ州立大学(Wichita State University)を見学することになります。当時はTopekaからの長い道のりで、猛暑のなか車で移動。目的地に着いた頃には汗で全身がびしょ濡れ、ただ眠りたいほど疲れ果てていました。
ところが到着してすぐ、大学の名物コーチであるMark LewisとGordon Vaticanから「君の投球を見せてほしい」と言われます。緊張と疲労、そして異国の空気に呑まれながら投げた最初の3球は、すべてガター。しかし、彼らはDashaの両親やRickを見て言いました。「彼女を採ります。ポテンシャルがある。」
Dasha本人は「ポテンシャルがあるって、私は今ガターばかりだったのに?」と驚きを隠せませんでしたが、彼らは彼女の本質的な技術と人間性を見抜いていたのです。
その後、正式に入学が決まり、高校を卒業した直後、Dashaはアメリカへ渡ります。しかし、親元を離れての留学生活は想像以上に過酷でした。文化の違い、言葉の壁、そして孤独。何もかもが初めてで、心細くて、「もう帰りたい」と何度も思ったといいます。
それでも彼女を支えたのは、チームメイトやコーチたち、そして遠く離れた母国から応援してくれる家族の存在でした。彼女がアメリカでボウリングを続ける決断を下せたのは、「信じてくれる人がいるから、自分ももう一度信じてみよう」と思えたからでした。
この“アメリカへの挑戦”こそが、Dasha Kovalovaという選手をプロへと導く最初の大きなステップとなったのです。
■ 女子プロとしての苦悩と成長 〜「私なんかにプロが務まるのか?」という葛藤〜
Dasha Kovalovaのプロとしての道のりは、決して順風満帆ではありませんでした。
2016年、プロトーナメントに挑戦することを決めた彼女は、「プロの世界って、どれくらいすごいのか見てみたい」と、半ば好奇心から数大会に出場します。しかし、現実は厳しく、まるで自分が別の競技に参加しているかのような錯覚に陥るほど、レベルの差を痛感する結果に終わりました。
「これは私には無理なんじゃないか…」
翌2017年も挑戦を続けましたが、状況は大きく変わらず。初めて出場したUSオープンでは、最下位から数えて3番目という屈辱的な成績に終わります。そのとき、目の前でリズ・ジョンソンが連続ストライクを決める姿を見て、彼女は衝撃を受けました。
「どうして彼女たちは、あの難しいパターンで、あんなに簡単そうに見える投球をできるんだろう?」
2018年には初めてツアーをフルで回ります。カットラインは突破しても、目立つ活躍はできず、タイトルには手が届きませんでした。そして、心の中には不安と焦りがつのっていきます。
「私はただここにいるだけで、本当にプロになれるのだろうか?」
その頃、彼女は生活費を稼ぐために、アート用品店でレジ係として働きながらボウリングを続けていました。誰よりも努力しているのに、結果が出ない――そんなジレンマに押し潰されそうになりながら、「もう一年だけ、やってみよう」と自分に言い聞かせます。
それは、諦めと希望の狭間に揺れる若き才能の、最後の賭けでした。
■ クイーンズ制覇と感動の涙 〜“自分を信じる”ことの奇跡〜
2019年、DashaはUSBC Queensというメジャートーナメントに出場します。舞台は彼女の留学先でもあったWichitaのNorth Rock。地元開催というプレッシャーに加え、初戦のスコアはまさかの150台。「またダメかもしれない…」そんな弱音が頭をよぎりました。
けれども、彼女のそばには、誰よりも彼女を理解し、支えてくれるボールレップのChuck GarnerとJohn Borerがいました。二人は試合のたびに隣で見守り、言葉をかけ、精神的に支えてくれました。
「あなたにはできる。自分を信じて。」
仲間やコーチ、大学時代の恩師、そして自分を信じ続けてきた家族。そのすべての声が、Dashaの中に力を与えていきました。
試合を重ねるごとに投球は安定し、準決勝、決勝と勝ち進んでいく彼女の姿は、まるで別人のように堂々としていました。そして迎えた決勝戦、Dashaは落ち着いた投球を続け、ついにプロ初タイトルを手にしたのです。
「私は、本当に勝ったんだ…?」
それまで「自分はここにいていいのか」と迷い続けた彼女にとって、この勝利は“居場所”を手に入れた瞬間でもありました。人生で初めて「プロとして認められた」と実感したその日、遠く母国から応援していた両親も、喜びの涙を流したことでしょう。
■ 300点達成と母との再会 〜完璧な瞬間、すべてが報われた日〜
プロとしての実績を重ねつつあったDashaにとって、さらなる奇跡の瞬間が訪れます。
それは、テレビ中継の舞台。舞台は「Pepsi Louisville Open」。彼女は好調なスタートを切り、その勢いのままストライクを積み重ねていきました。6フレーム、7フレーム、8フレーム…気づけばフロント10。そして11フレーム目も完璧な投球。
ラスト1投、会場は静まり返り、ただDashaの投球に視線が集まります。そして次の瞬間――
ピンが全て倒れる音とともに、場内が歓声に包まれました。
Dasha Kovalova、完璧な300点を達成。
その試合はただの勝利ではありませんでした。プロツアーのタイトル、完全試合、そしてそれを母が生で観ていたという、奇跡のような瞬間でした。Oxanaさんは、それまで一度も娘の試合を現地で観たことがありませんでした。けれどもその日、母はそこにいました。
Dashaはそのまま母の元へ駆け寄り、抱きしめました。
「ママ、やったよ。」
敵はリズ・ジョンソン。ボウリング界の伝説。その彼女を倒しての勝利、しかもパーフェクトゲームで――これ以上のドラマはありません。
「脳が叫んでいて、試合中のことはほとんど覚えていない」と後に語るDasha。それほどまでに、感情があふれた試合でした。
この瞬間、彼女はただの若手選手ではなく、真のスターとしてボウリング界にその名を刻んだのです。
■ 自分らしさを貫く強さ 〜「不安があっても、私は私」〜
Dasha Kovalovaが語る言葉の中で、最も多くの人の心に響くのは――
「私は怖がりです。でも、それでも戦えるんです。」という一言かもしれません。
彼女は完璧なアスリートでもなければ、感情を隠してクールに振る舞うタイプでもありません。むしろその逆で、不安や緊張、プレッシャーに日々揺れ動く、ひとりの等身大の女性です。
「私は、ずっと“自分はここにいていいのか”って思ってた。」
「誰かに認められたい。でも、認められるには“プロっぽく”見えないといけないのかなって思ったこともある。」
しかし彼女は、無理に自分を偽ることはしませんでした。
たとえ心の中に“怖い”があっても、たとえ「泣きそう」「不安だらけ」だったとしても、それを隠さずに受け入れたのです。
ある時、彼女はこう語りました。
「私は“ストーンコールドなプロフェッショナル”にはなれない。そう見せようとするのは、もっとつらい。でも、それでも私は試合に立つ。震えてても、涙が出そうでも、私はやる。だって、それが私だから。」
その言葉に、多くの人が勇気づけられました。
“強さ”とは、何も恐れを持たないことではない。
本当の強さとは、恐れがあってもなお、自分のままで前に進むことなのだと、Dashaは身をもって証明しています。
「不安でもいい。孤独でもいい。自信がなくても、それでもあなたには価値がある。」
彼女の投球は、そんなメッセージそのもの。
彼女が投げるたびに、心のどこかで自分と重ねる人たちが、きっといるはずです。
■ ボウリングというパズル 〜「問題を解くことが、楽しいんです」〜
Dashaにとって、ボウリングは単なる“競技”ではありません。
それは、「自分自身と向き合う知的なパズル」のような存在です。
「正しいスピード、正しい手首の角度、ボールの選び方、立ち位置…それらをすべて調整して、“今この1球”に最適な答えを出す。まるで方程式を解いているみたいなんです。」
油の引かれたオイルパターンやレーンの状態は、日によって微妙に異なります。誰かのプレーによって変化することもある。
その“目に見えない変化”を、感覚と経験で読み取り、少しずつパズルのピースを組み上げていく――それがDashaのボウリングの醍醐味です。
「私はパズルを解くのが好きなんです。上手じゃないけど、苦労してひとつひとつ手がかりを集めて、最後に“わかった!”ってなった時の感覚がたまらない。」
もちろん、すべてがうまくいくわけではありません。むしろその逆で、試合中に泣くことだってあります。思い通りにならず、自分に腹が立って、悔しくて、涙をこらえきれないこともあります。
それでも彼女は続けます。
「苦しくても、ちゃんと考えて、工夫して、最後に“この1球”を成功させたとき…もう、それだけで全部が報われた気がするんです。」
ボウリングとは、ミスが前提のスポーツです。
ストライクを続けられる選手なんてごくわずか。誰もが“うまくいかない”時間を持っています。
その中で、どうやって次の1投を“最善”に近づけるか。
それは、まさに人生そのもの。
一投一投に、失敗も成長もすべて詰まっていて、どんな状況でも前に進むことが求められる。
Dashaはそんな「ボウリングという人生の縮図」に魅せられ、そして今なお、そのパズルを解き続けています。
■ 不完全さこそ、彼女の美しさ
Dasha Kovalovaの歩んできた道のりは、完璧とは程遠いものでした。
うまくいかない日々、涙が止まらない夜、自信を失った時間、そして「自分には無理かもしれない」と何度も思った瞬間――
それらすべてが、彼女を形づくった大切なピースです。
けれど彼女は、逃げなかった。
誰かの理想像になろうとせず、自分の「弱さ」を隠さずに受け入れ、それでも前に進み続けました。
ボウリングが上手だからではない。
タイトルを獲ったからでもない。
彼女が多くの人の心を打つのは、“自分を偽らずに挑戦し続ける姿”そのものが、何よりも美しいからです。
たとえ不安を抱えていても、たとえ完璧じゃなくても、
「そのままのあなたでいい」
「ありのままでも、前に進める」
そう教えてくれるDashaの存在は、私たちすべての“何かに挑戦する人”にとっての道しるべとなります。
レーンの先にあるピンは、未来の象徴のよう。
そのすべてを倒せなくても、ひとつずつ、またひとつずつ――
今日も彼女は、自分だけのリズムで、静かに一球を投げ続けています。