嵐を呼ぶ企業Storm
ボウリング界を「格上げ」した40年の全記録
決断・技術・物語のタイムライン
ボウリングの価値は、あの「音」で決まる
ボウリング場に響く、ボールがポケットに吸い込まれた直後の乾いた炸裂音。10本のピンが弾け、倒れ、奥へと散る。ストライクの快感はスコアだけではなく、「音」と「景色」で完成する。
この一瞬を、より多く、より確実に生み出すことに取り憑かれた企業がある。Storm(ストーム)。いまでは“The Bowler’s Company”として世界に名が通るが、その出発点は無名の小さな現場で、資金もノウハウも足りなかった。常識なら断る注文を受け、原始的な手作業でボールを作り、破産寸前の崖っぷちから素材革命で復活し、最後はスターとの危険な契約で一気にメジャーへ駆け上がる。
本稿はストームの歩みを、「ボウリングを格上げしたニュース」として読み直す試みだ。ポイントは3つに集約される。
断らない決断:できない理由より、やる方法を先に探した
科学の導入:感覚のスポーツに、物理と化学を持ち込んだ
物語の設計:製品だけでなく、ブランドの“顔”と“人格”を作った
停滞の時代を割り、嵐を定着させた「決断の連鎖」
1)1980年代――「巨大市場なのに、ボールが進化していない」という不自然
戦後のアメリカでボウリングが大衆スポーツとして爆発した背景には、郊外化の波とオートマチック・ピンセッターの登場、そしてPBAのテレビ放送がある。スター選手が生まれ、観戦の熱狂が競技人口を押し上げた。にもかかわらず、道具であるボールの側は「安全な改善」に留まりやすかった。
当時の主流は、基本的に「真っ直ぐ進む」ボール。素材が変わっても設計思想は保守的で、フックボールは熟練者の技術に依存しがちだった。結果、一般のプレイヤーは「曲げられないからライン取りも曖昧」「当たり所が安定しないからスコアが荒れる」という状態に陥りやすい。言い換えれば、ボウリングはまだ“運任せ(Spray and pray)”の匂いを引きずっていた。
ここに、ストームが突き刺さる余地があった。市場が成熟しているのに、革新が遅い。つまり、停滞は最大のチャンスになり得る。
2)入口はボールではなく「困りごと」――クリーナーが作った突破口
ユタ州ブリガムシティで工業用品・化学製品を扱っていたビル・クリスマンは、ウレタンボールの反応を戻すためにボウラーが危うい方法を試している現実を見た。洗剤で洗う、食洗機に入れる、シンクでこする。どれも「手間」「事故」「劣化」のリスクを抱える。
ここから生まれたのが、「レーン脇でスプレーしてタオルで拭くだけ」という、現場目線の解決策だ。製品名は“You Clean You Score”。重要なのは、参入の最初の一手が「性能そのもの」ではなく、性能を維持する行為(メンテナンス)だった点である。
プレイヤーが「いま困っていること」を狙う
体験を悪くしている摩擦を減らす
道具への信頼を回復させる
この時点で、ストームの勝ち方は見えている。大メーカーが気づきにくい現場の痛点を、化学の強みで抜く。スポーツの中心にいるのはメーカーではなく、ボウラーだという視点が最初からあった。
3)在庫ゼロで「50ダース」を受ける――Never saying noの誕生
ある日、ディストリビューターから「50ダース(600本)の注文」が入る。しかしビルの手元には在庫がない。空ボトルすらない。常識的には断って信用を守る局面だ。
それでもビルは電話口で時間を稼ぎ、こう言った。
「はい、在庫はあります。明日出荷してもいいですか?」
電話を切った瞬間から、家族総出で充填作業。ここで刻まれたのは、単なる無茶ではない。ストームの後の歴史を貫く、意思決定の型だ。
「できるか」ではなく「やる」から始める
断った瞬間に、未来の扉が閉じる
背水の陣が、創意工夫を引き出す
この瞬間に生まれた“Never saying no(ノーと言わない)”は、企業文化として後の開発・営業・契約のすべてに染み込んでいく。
4)「ボールを作ろう」――知識不足を理由にしない25,000ドルの勝負
クリーナーの成功は、業界経験者キース・オートンを引き寄せる。彼の提案は大胆だった。
「クリーナーだけじゃない。ボウリングボールも作ってみないか?」
当時のビルは作り方を知らない。それでも知人を説得して25,000ドルを借り、旋盤と材料を購入する。製造業としては小さな金額だ。だが、ここで重要なのは規模ではなく「一歩目」だった。
ストームはこの瞬間に、販売中心の会社から製造と開発で戦う会社へと人格を変えた。後年「研究所のような工場」を持つことになる企業が、最初はほとんど裸の状態で踏み出した。このギャップこそが、成長の物語を強くする。
5)KFCのバケツ――原始的プロセスが示した「完成度より前進」
初期の製造プロセスは、現代の工場からは想像しがたい。ポンプシステムがない。そこでビルとキースは昼食にKFCへ行き、チキンと一緒に「空のバケツ」を購入して戻った。二液性のレジンを棒で混ぜ、手作業で型に流し込む。気泡だらけで不完全でも、「製品」ができる。
最初のボールは黒いソリッドウレタンで、ブランド名はHigh Score Products(HSP)。このエピソードは“苦労話”として消費されがちだが、本質はそこではない。
完璧な設備がなくても、検証できる形にする
市場に出して、反応を見て、学習する
「準備が整ったら」ではなく、「動きながら整える」
この姿勢は、後の素材革命にも、ブランド戦略にも直結していく。
6)「Storm」の誕生と1994年の転換――社名より「呼ばれ方」を選ぶ
ボール名を決める夜、メキシコ料理店でビルが口にした言葉が「Storm(嵐)」だった。戦略的な命名というより、直感に近い。しかし名前は理屈より強いことがある。覚えやすく、口に出しやすい。次のボールもStorm、その次もStorm。気づけば人々は会社までストームと呼び始めた。
1994年、同名の「High Score Products」から商標権侵害で訴えられるトラブルが起きる。ここでビルは社名を守るより、すでに市場に定着した呼称を選び、正式に「Storm」へ社名変更する。危機を、ブランド強化の追い風に変えた決断だ。
この判断は、後にM&Aでブランドの“魂”を残す方針へとつながる。ストームは「看板」を守る会社ではなく、“市場にどう認識されているか”を守る会社だった。
7)破産寸前の崖っぷち――青い奇跡Teal Stormが「競争者」への通行証になる
創業初期の経営は、常にギリギリだった。個人的破産の危機、口座残高がゼロになる日。パートナーのキースからは、
「自力で立てないなら終わりにしよう。プラグを抜くぞ」
という最後通告まで突きつけられる。
そんな時、ビルがテレビで目撃したのが、常識外れの急激なフックを描くボール。鍵は「リアクティブ・レジン」という新素材だった。ビルは直感する。「あの素材が必要だ」。
試作の末に完成したのが、青緑のTeal Storm(ティール・ストーム)。バックエンドで爆発的に動き、ピンをなぎ倒すその性能は当時突出していた。Teal Stormは単なるヒット商品ではない。ストームを「市場の参加者」から「競争者」へ格上げするチケットだった。
ここでストームが掴んだのは売上だけではない。「技術で主語を取れる」という自信だ。以後、ストームは“追いかける側”ではなく、“ルールを変える側”に回っていく。
8)成長か現状維持か――「1日100個」の目標が要求したもの
Teal Stormの成功で、ストームは岐路に立つ。小さく堅実に生きるか、拡大してメジャーに挑むか。彼らは後者を選び、「1日100個のボールを作る」という目標を掲げる。
拡大には製造能力だけでなく、「信用」が必要だ。ショップが置きたくなる理由、ボウラーが選びたくなる物語。そこで必要になったのが、ブランドの顔である。性能だけで勝てるなら、世の中の名品はもっと売れている。スポーツ用品はとくに、勝利のイメージと結びついた瞬間に爆発する。
9)危険な賭け――1997年1月、ピート・ウェーバー契約がもたらした露出革命
1996年秋、ツアーレップから入った連絡は衝撃的だった。
「ピート・ウェーバーがストームを使いたがっている」
ピートは伝説的ボウラー、ディック・ウェーバーの息子。実力は折り紙付きだが、当時は素行が悪く、トラブルメーカーとしても知られ、契約を切られた過去すらある。ストームにとっては、まさに“爆弾”のような存在だった。
それでもビルは判断する。リスクを取る価値がある。
そして1997年1月に正式契約。
結果は、教科書級の成功となる。1997年シーズン、ピートは10回のテレビ決勝進出。ストームのロゴが全米の画面を占領した。派手なパフォーマンスと物議を醸す言動は、賛否を含めて注目を集める。ここで起きたのは「広告効果」ではなく、社会的な認知の獲得だ。
“知られていない良い製品”から
“語られるブランド”へ
そしてこのパートナーシップは、その後長く続き、ストームの反骨精神と勝利への執念を象徴する関係として定着していく。
10)工場というより研究所――科学で「再現性」を作り、感覚の壁を超える
ストームの強みは、話題化の後に失速しなかったことにある。スターで売れたブランドは、次の一手が弱いと消える。しかしストームは、勝ち筋を科学で固めた。
ウェイトブロック(コア)形状が回転と転がりにどう影響するか
カバーストック(表面材)の化学組成がオイルとどう反応するか
レーンコンディションの違いが球の挙動をどう変えるか
これらを「感覚」ではなく、物理と化学で詰める。さらに、コンピューターのシミュレーションだけに頼らず、実際に投げて「投げやすさ」という数値化しにくい要素まで落とし込む。工場内にレーンを設置するという徹底は、作業効率の話ではなく、開発哲学の宣言に近い。
ここでストームは、ストライクの快感を「偶然」から「再現性」へ引き寄せた。ボウリングを格上げするとは、突き詰めればこの一点だ。“誰が投げても、正しい入力が正しい結果を生みやすい”世界を作った。
11)M&Aの本質――“飲み込む”のではなく“人格を増やす”
2000年代に入り、ストームは買収による拡大戦略を取る。ただし選んだのは「同化」ではなく「共存」だった。買ったブランドの魂を残し、役割を分担させる。
Roto Grip(ロトグリップ):攻撃的なコアと強いカバー。パワーとアグレッシブ
900 Global(900グローバル):妥協のない性能追求。尖ったトップライン
結果、ストーム社は3つの人格を持つ。
Storm:万能性・安定感・ベンチマーク
Roto Grip:パワー・攻撃性・アティチュード
900 Global:尖った性能・対称コアの最前線
これは単なるラインナップ拡大ではない。ボウラーのタイプは一様ではないという前提に立ち、選び方そのものを整理した戦略だ。市場を増やすだけでなく、市場の理解を深める。この点でもストームは競技を格上げしている。
12)「穴埋め」ではなく「傑作」――名作を長く残すことが文化を作る
多くのメーカーが数週間おきに新製品を乱発する中、ストームは違う。「リリースには目的が必要だ」という哲学で、本当に必要なボールだけを出す。その象徴がHy-Road(2008年発売)で、2025年まで約17年一線級であり続けている。これは流行の激しい業界では異例だ。Phaze IIなど、長く愛される名作が続くのも同じ構造にある。
名作が残るほど、コミュニティに共通言語が生まれる。ショップは説明しやすく、ボウラーは比較しやすい。結果、道具の選択が“運”から“理解”へ寄っていく。これもまた、格上げの一部だ。
13)次世代への投資――両手投げ時代に「未来の熱量」を取りにいく
ボウリング場の数は減った。しかし残ったボウラーの熱量は高い。特に両手投げ(ツーハンド)の台頭は、体格差が回転数の壁になりにくく、若年層にも可能性を開いた。ストームはユースプログラムや大学ボウリングを支援し、目先の売上より「スポーツの未来」に投資する。
製品を売るための支援ではなく、競技を育てるための支援。その結果、若い才能がストームのボールで育ち、新しい歴史を作る循環が生まれる。ここに、Stormが“The Bowler’s Company”を名乗る説得力がある。
「できないと知るほど賢くなかった」が、業界を動かした
ビル・クリスマンは成功の鍵をこう語る。
「we were too stupid to know we couldn’t do it」――自分たちにはできないと理解できるほど賢くなかった。だから、リスクを取り、献身し、決してノーと言わなかった。
在庫がないのに注文を受けた日。KFCのバケツで樹脂を混ぜた日。破産の恐怖の中で開発を続けた日。1997年1月、危険と言われたスターと契約した日。ストームはいつも「安全」ではなく、「可能性のある道」を選んだ。そして、選ぶだけで終わらず、科学とブランド戦略で勝ち筋を太くした。
ストームが格上げしたのは、単にスコアの上限ではない。ボウラーが求める“あの音”の発生確率を高め、プレイ体験の期待値を引き上げ、用具の会話を豊かにし、競技の未来へ投資する文化を作った。
次にあなたがレーンに立ち、完璧な一投でストライクの音を響かせるとき。その一瞬の裏側には、断らない決断と愚直な積み重ねで世界を変えた嵐の思想が、確かに混ざっている。