
【訃報】“Mr.900”ことグレン・アリソン氏、95歳で逝去
ボウリング界のレジェンド、静かに幕を下ろす
プロボウリング界の伝説的存在であり、アメリカ・ボウリング界に多大な功績を残したグレン・アリソン氏が、2025年10月7日、カリフォルニア州コロナにて95歳で逝去しました。アリソン氏は、全米ボウリング会議(USBC)およびプロボウラーズ・アソシエーション(PBA)の両殿堂入りを果たした名選手であり、特に1982年に達成した「900シリーズ」によって、“Mr.900”の愛称で親しまれてきました。
72年間の記録と栄光の軌跡
長年にわたるオープン選手権での活躍
アリソン氏のボウリングキャリアは、1947年のロサンゼルス大会でUSBCオープン選手権に初出場したことから始まりました。1950年に再び出場したのち、1954年から2024年までの72年間連続出場という、大会最多記録を樹立しました。
これは、121回の大会の歴史の中でもわずか4人しか達成していない偉業であり、アリソン氏はまさにUSBCオープン選手権の象徴的存在でした。
優勝歴と個人成績
アリソン氏は、1962年、1964年、1966年、1970年と4度にわたり同選手権で「イーグル」(優勝者に贈られるトロフィー)を獲得しました。
1962年には、同じく殿堂入り選手のディック・フーバー氏と組んだダブルスで、アリソン氏が780シリーズを記録し、総合1,431点で優勝。
1964年と1966年には、それぞれ「Falstaff Beer」「Ace Mitchell Shur-Hooks」というチームで団体戦に勝利。
1970年のシングルスでは、258、258、214のゲームで計730点を記録し、個人タイトルを獲得しました。
歴代3位のピン数記録
アリソン氏は、長年の活躍の中で、通算ピン数123,341本を記録し、USBCオープン選手権の歴代ピン数ランキング第3位に位置しています。これは生涯大会平均190という高い水準を維持し続けた証です。
彼は2006年の大会で「100,000ピンクラブ」入りを果たし、最後の大会となった2024年には、ステージ上で72回目の出場を称えられ、記念のゴールドとブラックオニキスの指輪を授与されました。
幻の900シリーズ
アリソン氏が“Mr.900”と呼ばれる理由は、1982年7月1日にLa Habra 300 Bowlにて記録した3ゲーム連続パーフェクト(計900点)のためです。
しかし当時のアメリカン・ボウリング・コングレス(ABC)(現在のUSBC)は、そのリーグ運営上の不備からこの記録を公式には認定せず、2014年に再審査されたものの却下の判断は覆りませんでした。
それでもこの900シリーズは今もなおボウリング史上最も有名な非公認記録の一つとして語り継がれています。
PBAでも輝かしい経歴
また、アリソン氏はPBA(プロボウラーズ・アソシエーション)の創設メンバーでもあり、1984年には同団体の殿堂入りを果たしました。PBAツアーでは5つのナショナルタイトルを獲得し、シニア向けのPBA50ツアーでも1勝を挙げています。
永遠に語り継がれる“Mr.900”の功績
グレン・アリソン氏は、ボウリングという競技における技術と精神の模範であり、長年にわたりスポーツを愛し続けたその姿勢は、多くのファンや後進のプレーヤーたちに大きな影響を与えました。
公式記録としては認められなかった900シリーズを含め、彼の数々の実績は、今後もアメリカボウリング史において語り継がれていく存在であることは間違いありません。
なお、葬儀の詳細については現時点で公表されていません。心よりご冥福をお祈りいたします。