
【訃報】元PBA会長スティーブ・ミラー氏、81歳で死去
スポーツ界を横断した名経営者の功績
PBA再生に尽力した名経営者、スティーブ・ミラー氏が逝去
2000年から2005年にかけて、プロボウリング協会(PBA)の会長兼CEOを務めたスティーブ・ミラー氏が、父の日にあたる2025年6月15日、81歳で逝去しました。
PBAコミッショナーのトム・クラーク氏は、
「スティーブ・ミラーはまさに自然の力のような存在だった。彼の情熱と手腕がPBAに新たな命を吹き込んだ」と追悼の言葉を述べています。
多方面にわたるミラー氏の軌跡
スポーツ選手としての出発
スティーブ・ミラー氏は1960年代、ブラッドリー大学でフットボールと陸上競技に取り組み、優秀なアスリートとして知られました。
その後、NFLのデトロイト・ライオンズで1シーズンを過ごしましたが、ケガによりプロ選手としての道は短く終了しました。
コーチングから大学スポーツ界へ
現役引退後は指導者としての道に転身。高校で10年間指導したのち、1976年にカリフォルニア州立工科大学サンルイスオビスポ校(Cal Poly-SLO)で大学コーチに就任。
同校ではNCAAディビジョン2の陸上競技で5度の優勝を果たしました。
1981年にはカンザス州立大学の陸上競技部の監督に就任し、1988年には同大学のアスレチックディレクターに昇格。
後に名将となるビル・スナイダー氏をフットボールチームの監督に採用した実績は特に評価されています。
ナイキとPBAでの経営手腕
その後、スポーツブランド大手ナイキにて約9年間幹部職を歴任。
トップアスリートの契約管理やブランド戦略、スポンサーシップ運営を担当し、2000年シドニー五輪に向けた1億ドルの投資プロジェクトも手がけました。
2000年、PBAの会長兼CEOに就任。
ボウリング界のブランド再構築と人気回復に尽力し、その取り組みはドキュメンタリー映画『A League of Ordinary Gentlemen』でも描かれています。
引退後も経営の第一線で活躍
PBA退任後は、テニス界のレジェンド、アンドレ・アガシ氏とシュテフィ・グラフ氏が運営する「アガシ・グラフ・ホールディングス」のCEOに就任。
営利事業の経営と、非営利の「アンドレ・アガシ教育財団」の運営を両立させた点でも高く評価されました。
スポーツの枠を超えて影響を与えた人生
スティーブ・ミラー氏の生涯は、アスリート、指導者、経営者、社会貢献者としての多面的な活躍に満ちていました。
その功績は、フットボール、陸上、ボウリング、テニスという複数の競技を横断しながら、常に「人を育て、組織を再生させる」姿勢に貫かれていました。
彼の存在は、スポーツビジネスと教育の両面に大きな影響を与えた人物として、今後も語り継がれていくことでしょう。
心よりご冥福をお祈りいたします。