勝利と挫折、その先へ
Danielle McEwanが語るボウリング人生

はじめに

ボウリングというスポーツには、静けさの中に燃えるような情熱と、長い時間をかけて積み上げられた努力があります。アメリカを代表するプロボウラー、ダニエル・マクユアン(Danielle McEwan)は、そのすべてを体現する選手の一人です。
彼女の語るキャリアの裏側には、家族、仲間、プレッシャー、そして乗り越える力がありました。本記事では、彼女のこれまでの歩みをたどりながら、ボウリングという競技の奥深さと、そこに生きるアスリートの精神に迫ります。

 

■ ボウリングとの運命的な出会い

Danielle McEwan選手のボウリング人生は、ある意味“家族の物語”から始まりました。彼女の継父の家系は代々ボウリング業界に関わっており、祖父の代にはイタリアから渡米し、ボウリング場の裏方としてピンセッター(手動でピンを戻す作業)をしていたという逸話まであるそうです。

「小銭を投げてもらって、それを拾っては給料代わりにしていた」と祖父が語るような昔話が、幼いダニエルの心に強く刻まれていました。やがてその祖父がボウリング場を購入し、現在ではマクユアン一家の“ホームセンター”として親しみを持って語られる場所になりました。

彼女がボウリングと出会ったのは、そんな家庭環境に育ったことが大きな理由です。継父が家族に加わったその日から、彼女はボウリングという世界に引き込まれていきました。最初のマイボールを手にしたのも、彼の影響です。

「最初はただ楽しい場所、遊びの延長だったんです。誕生日パーティーも毎年そのボウリング場。自然とレーンに立っている、そんな子供時代でした。」

しかし、その“遊び”はやがて彼女の中で“競技”へと変化していきます。高校に入るとボウリングチームに所属し、技術を真剣に磨く日々が始まりました。最初は「ただ勝ちたい」という気持ちから、次第に「誰よりも上手くなりたい」「自分の限界に挑戦したい」という情熱へと昇華していったのです。

「高校でチームに入ったとき、自分より上手い人がたくさんいることに気づいたんです。そのときから、本気で“学びたい”と思うようになりました。」

この気づきが、ダニエル・マクユアンという選手の本質を形づくる大きな分岐点でした。ただ才能に恵まれた選手ではない。努力と研究、そして情熱で技術を磨き続けてきた彼女にとって、原点はやはりあのホームセンターでレーンに立った“最初の一歩”なのです。

 

■ 家族の力――支えてくれる小さな輪

プロの世界で戦い続けるというのは、華やかな舞台の裏に、想像を超えるほどの孤独や不安がつきまといます。Danielle McEwan選手がそれを乗り越え、何年にもわたり安定して結果を出し続けてこれたのは、彼女の“家族”という強固な支えがあったからにほかなりません。

「正直、ツアーに出ていると、週によっては心が折れそうになるときもあります。でも、そんなときに電話一本で『大丈夫だよ』って言ってくれる家族がいる。心の底から安心できるんです。」

彼女は“支えてくれる輪”を「小さくていい、でも深く強いものでなければならない」と語ります。つまり、大勢に囲まれる必要はない。でも本当に信頼できる人たち――どんな時でも正直に向き合い、時には叱り、時には黙って背中を押してくれる、そんな存在が不可欠なのです。

ボウリングの世界は、想像以上にメンタルが大きく結果を左右します。連戦で体も心もすり減るなか、家族の存在は“勝利の戦術”と同じくらい重要な役割を果たしています。
特に母親や継父、兄弟姉妹、いとこ、祖父母――彼女にとって「家族」は、単なる血縁を超えた、戦いの仲間のような存在なのです。

「彼らがいなかったら、私は何度も心が折れていたでしょうね。どれだけ自分のことを信じられなくなっても、彼らが私を信じ続けてくれた。それがすべての支えでした。」

このような“家族という土台”の上に、Danielle McEwanのキャリアは築かれているのです。

 

■ Team USAでの栄光とプレッシャー

Danielle McEwan選手にとって、Team USAの一員として戦うことは、単なる競技の延長ではありません。それは「自分一人ではない」という誇りと責任を背負った、かけがえのない経験だったと語ります。

「国を背負って戦うというのは、個人戦とはまったく違う感情なんです。後ろに仲間がいて、コーチがいて、そして国旗がある。それだけで自然と力が湧いてくる。」

彼女が最初に金メダルを手にしたのは、ジュニアチームUSAでの団体戦でした。初めての世界レベルの大会での成功は、彼女に大きな自信とチーム戦の意義を教えてくれました。そしてその後、成人チームUSAとして再び世界に挑み、いくつもの栄光を手にします。

なかでも強く記憶に残っているのが、ケリー・キューリック(Kelly Kulick)とのダブルス戦での金メダルです。
「彼女と組むと聞いたときは、正直、怖かったです。ただただ迷惑をかけたくない、彼女の足を引っ張りたくない。それだけを考えていました。」

キューリックは、彼女がテレビで観て憧れていた存在。TOCでクリス・バーンズを破った伝説の瞬間を、画面越しに見ていた少女が、いまその本人と肩を並べて世界と戦っている――そんな夢のような瞬間でした。

そして結果は金メダル。「私はしっかり自分の役割を果たし、彼女はいつも通り素晴らしいパフォーマンスを見せてくれた。あのときの喜びは、個人タイトルでは味わえない感動でした。」

Team USAでの戦いは、喜びだけではなく、常に重圧との戦いでもありました。
「一人で負けるより、チームに迷惑をかけるほうが何倍もつらい。でも、だからこそ本気で取り組めるし、自分の限界を超えられる。」

彼女にとってTeam USAは、プレイヤーとしての原動力であり、心の支えであり、人生の中で最も誇れるステージでもあります。

 

■ PWBAツアー復活、そして自分の居場所

ダニエル・マクユアン選手がプロとして本格的に活躍を始めた頃、女子のプロボウリングツアー――つまりPWBA(Professional Women’s Bowling Association)は存在していませんでした。

「女子にはツアーがない、という現実は、あまりにも大きな壁でした。」

それでも彼女はボウリングを諦めることなく、PBA(男子ツアー)に挑戦したり、世界各地を巡る国際大会に出場したりしながら、黙々と経験と技術を積み重ねていきました。目標は“稼ぐこと”ではなく、“赤字を出さずに次の大会に出られるようにすること”。それが彼女のリアルな日常だったのです。

そんなある日、Facebookで目にした衝撃的なニュース――PWBAツアーの復活
「スマホでその投稿を見た瞬間、何が起こったのかわからなかった。まるで時間が止まったようでした。」

そのとき、彼女の心の中には「これで有名になれる」とか「タイトルを獲りたい」といった野心はなかったといいます。ただ純粋に、「やっと私たちの場所が戻ってきた」「また一つ大会に出られる」という喜びがこみ上げたのです。

彼女が参加した初のPWBAツアーストップ。その瞬間の記憶は今でも鮮明に残っていると語ります。

「セットに立って周りを見渡したとき、“ここだ”と思った。これが自分の場所だって。」

もちろん、男子ツアーに出場していた時も誇りを持ってプレーしていたし、そこに違和感があったわけではない。けれど、同じ目標を持ち、同じ経験をしてきた女性アスリートたちと同じ舞台に立つというのは、また別の意味を持つのです。

「ここにいるみんなが、私と同じ思いを抱えてきた。それを感じたとき、“帰ってきた”という気持ちになれたんです。」

それは、Danielle McEwanが「選手」としてだけでなく、「一人の人間」として安心して呼吸ができる、そんな場所だったのです。

 

■ 初優勝と重くのしかかる“期待”

PWBAツアーが復活したその初年度。Danielle McEwan選手は、年間を通して安定した成績を残し、多くのファンやメディアから注目を集めていました。

そして迎えたシーズン最終戦。
彼女はついに、自身初となるPWBAタイトルを手にするのです。

「正直、その時は“勝つってこういうことか”という実感すらまだなかったんです。」

それまで何年にもわたり、男子ツアーや国際大会で勝ちきれない悔しさを味わってきた彼女にとって、その勝利はようやく掴んだ“答え合わせ”のようなものでした。しかし、それは同時に、新たな“問い”の始まりでもありました。

「初めて勝った直後から、今度は“いつ次に勝つのか?”と周りが言い出すんです。」

周囲の期待は大きく、彼女が“チャンピオン”と呼ばれる存在になったことで、目に見えない重圧が肩にのしかかります。

「勝者になることよりも、“勝ち続けること”のほうが、はるかに難しい。」

1回の優勝は証明かもしれませんが、2回目、3回目となると、“偶然”では済まされなくなります。期待は“当然”へと変わり、その重さがミスを誘い、スランプを引き寄せることもあります。

「周囲が何を言ってくるかではなく、自分がそれをどう受け止めるか。そのバランスを学ぶのに時間がかかりました。」

それでも彼女は、試合の中で失敗し、悔しさを味わいながらも、次の一投に気持ちを込めることで少しずつそのプレッシャーを乗り越えていきました。

そして彼女は気づいたのです――勝者であり続けるとは、“完璧”を求めることではなく、“揺らがないこと”なのだと。

「今では、勝つことも負けることも“成長の一部”だと受け入れています。負けたからといって、自分が価値のない選手になるわけじゃない。」

だからこそ、初優勝は彼女にとって「ゴール」ではなく、「始まり」だったのです。
始まりの先に待っていたのは、真の意味での強さと、アスリートとしての誇りでした。

 

■ USオープン制覇――栄光の裏にあった悔しさと学び

ダニエル・マクユアン選手がこれまでに経験した数多くのタイトルの中でも、USオープンの優勝は特別な意味を持っていました。
それは、ただ名誉ある大会というだけでなく、肉体的にも精神的にも最も過酷な舞台だからです。

「私にとって、USオープンは“夢のタイトル”であり、“挑戦の象徴”でした。」

この大会では、1週間で56ゲームを戦い抜き、複数のオイルパターン(レーンコンディション)に対応しなければなりません。パターンごとにボールの軌道や投球タイミングを調整し、集中力と技術を一瞬も途切れさせずに維持し続ける必要がある――それは、単なる勝負ではなく、自分自身との持久戦でした。

「フィジカルもメンタルも、どこかひとつでも欠けていれば勝てない大会。それがUSオープンです。」

彼女は過去にも何度もこの大会に挑み、あと一歩で届かなかった経験をしています。2位、3位、悔しい敗北。観客や仲間が見守るなかで、プレッシャーのかかる10フレーム目を投げ切れなかった苦い記憶――それが、彼女の中に深く刻まれていました。

しかし、その失敗はやがて彼女を変えます。
「あのときの“何がダメだったのか”を、私は忘れませんでした。」

その一つひとつをメモし、練習に落とし込み、精神面の強化も怠りませんでした。呼吸の整え方、プレッシャー下でのルーティン、そして“最後の一投”に込める集中力。彼女は、自らの弱点を正面から見つめ、それを強みに変える努力を重ねていったのです。

そして2019年、ついにその努力が実を結びます。
決勝の舞台で、彼女は最後の10フレームに冷静に立ち、必要なストライクを決めてUS女子オープンのタイトルを手にしました。

「勝った瞬間、感情が一気に溢れ出て、自分でも驚くほど涙が止まらなかった。あれはただの勝利ではなく、自分との長い闘いの終わりだったんです。」

この優勝は、彼女のキャリアにとって新たな節目であり、選手としての信念を証明した瞬間でもありました。

 

■ 若手の台頭と女子ツアーの進化――次世代に繋ぐ意志

近年のPWBAツアーには、明らかな変化が起きています。Danielle McEwan選手は、その最前線でその変化を肌で感じている一人です。

「以前は、女子選手たちの多くが大学を卒業すると、ボウリングを趣味として続けながらも、学んだ分野で働いていくのが当たり前でした。」

しかし今では、大学卒業後にツアー参戦を目標にする若い選手たちが増えています。彼女たちは中学生や高校生の頃からボウリングに本気で取り組み、大学でもトップレベルの競技経験を積み、明確な意志を持ってプロの世界へ飛び込んできます。

「若い子たちは、とにかく強い。そして何より、賢いんです。」

技術だけでなく、分析力、メンタルケア、フィジカル面のトレーニングなど、あらゆる面において準備が整った選手が次々と現れています。しかも彼女たちは、SNSやYouTubeなどの発信力も持ち合わせており、これまでの女子ツアーにはなかった“発信者としての力”も手にしています。

「私たちの頃は、ただ勝つことで認めてもらうしかなかった。でも今は、見せ方や伝え方も大切な時代になってきました。」

こうした変化を前向きに受け入れ、自身も刺激を受けながら、マクユアン選手は“先輩”としての意識を強く持っています。

「私がしてもらったように、私も若い選手たちの道しるべでありたい。勝ち方も、負け方も、ボウリングへの敬意も、すべて見せていくことで、彼女たちが“自分らしく強く”なる手助けをしたいんです。」

自分が積み上げてきたキャリアの価値を、次の世代へと引き継いでいくこと――それこそが、今のDanielle McEwan選手が掲げる大きな使命のひとつなのです。

 

■ ボウリングをもっと知ってほしい――“誤解されたスポーツ”の真の姿

Danielle McEwan選手には、選手としての目標とは別に、もう一つの「人生をかけた願い」があります。それは、ボウリングという競技の素晴らしさを、もっと世の中に広めること

「ボウリングって、外から見ると“娯楽”とか“気軽な遊び”って思われがちなんです。でも、私たちが戦っている世界は、それとは全く違う。」

一般的なイメージでは、レーンに立ってボールを転がすだけ――それだけに見えるかもしれません。けれど、実際の試合では、選手たちは1日何十ゲームもの投球をこなします。レーンのオイルコンディションは時間とともに変化し、対応を間違えればスコアに直結。体力・集中力・技術、すべてが揃って初めて“プロの一投”が成立するのです。

「連戦が続くと、朝起き上がるのも大変なくらい体は疲れている。でも、それでもレーンに立ち、昨日よりも良い一投を目指す。それがプロとしての責任なんです。」

彼女はフィジカルトレーニングにも力を入れ、特に脚力と体幹の強化を重視しています。これは、ボールを投げるという一見シンプルな動作の中に、複雑な身体の連動が必要だからです。レーン上での姿勢が一瞬でも崩れれば、すぐに結果に現れてしまう。それほどまでに繊細で、奥深いスポーツなのです。

また、Danielleは「アスリートとしての誇り」も大切にしています。
「私たちは、ただの“プレイヤー”ではありません。競技者であり、職業アスリートです。日々の練習も、遠征も、自己管理もすべてが仕事。誤解されることが多いけど、それでもこのスポーツの価値を、私は信じ続けたい。」

だからこそ、彼女は“結果”だけでなく、“姿勢”でも魅せたいと考えています。
若い選手たちにとって、ボウリングが単なる趣味ではなく、“人生をかける価値のある競技”であることを、自身の背中で示し続けているのです。

 

■ 一歩ずつ前に進む強さ――Danielle McEwanという生き方

Danielle McEwan選手のキャリアは、決して順風満帆ではありませんでした。
幼少期からボウリングに親しんだものの、プロツアーのない時代にキャリアを始め、男子と戦いながら経験を積み、やっと掴んだ女子ツアーの復活。そして、その後に待っていたのは、勝利の喜びだけではなく、“勝ち続ける重圧”と“敗北の苦味”でした。

「ボウリングは、まるで人生のよう。登ったと思ったらまた落ちる。でも、それでもまた登る。」

失敗しても、自分を責めすぎず、次の一歩に集中する。彼女は“底を打ったあとにどう行動するか”が、すべてを決めると信じています。そしてその積み重ねが、気づけば“自分だけの強さ”になっているのです。

「勝てない時期は、ただの停滞じゃない。そこには、次の勝利をつかむためのヒントが必ずある。」

そう語る彼女の言葉には、表彰台の上では見えない、何百時間もの練習と、何度も悩み続けた夜の重みが込められています。

Danielle McEwanは今も、毎週末レーンに立ち続けます。勝つために、挑戦を続けるために、そしてボウリングというスポーツを次の世代へ受け継ぐために。

読者のあなたにとっても、きっと彼女の姿はただのスポーツ選手ではなく、“困難に立ち向かうすべての人の象徴”として映ったのではないでしょうか。

人生も、ボウリングも、答えは一投先にある――
そう信じて、一歩ずつ、また一歩ずつ、Danielle McEwanは今日も進み続けています。